2013年12月16日

二十四節気と七十二候のお話 その69

12月17日から21日は七十二候の「鱖魚群」。「さけのうお むらがる」と読むそうです。鮭が群れをなし、自分達の生まれた川を遡ってくる時期という意味になります。
もともと「鱖魚」は「けつぎょ」と読み、中国ではよく食べられているスズキ科の淡水魚。鮭とは別の魚なのですが、日本では見かけないので、七十二候が伝わってきたときに、同じように群れをなす鮭のこととみなすようになったようです。今ではこの候を「鮭魚群」と書いている人もいますが、日本語では鮭は鮭一字で充分。魚という字をつける「鮭魚」という言葉はないので、ちょっと無理があるかなあと思います。
さて、鮭の大群が身をボロボロにしながら、冷たい冬の川を遡っていくのは、自分達が生まれた川で産卵をするためです。
いったん海へと出ていった鮭が、何年かたった後も自分の生まれた川に戻ってこれるのはなぜなのでしょう。
「沿岸に近づいてから生まれた川の臭いでわかるという『臭覚回帰説』や、太陽の位置などを目安に帰る『太陽コンパス説』、そのほかに『地磁気説』、『海流説』等が上げられていますが、実際どうなのかはわかっていません。」と「社団法人岩手県さけ・ます増殖協会」の資料にありましたが、一番私が説得力を感じるのは「嗅覚回帰説」です。鮭だって、私達人間だって、故郷の水のにおいはちゃんとわかるようになっているのだと思うのです。
故郷を離れ、故郷の水のにおい(「臭い」という漢字はあてたくありません)について気付いたことがあります。
山口県からまずは大阪へ出てきて、奈良で暮らすようになりました。最初の数年、どうも生野菜がおいしく感じられませんでした。とりわけキュウリの味に違和感があるのです。それでも、大阪は都会だから、田舎の野菜に比べると鮮度が劣るから仕方がないのだと思っていました。ところが、あるとき取材で採れたてのキュウリを食べました。それでもやっぱりおいしくない。
実家に帰ると、一番のごちそうは萩から届く魚のお刺身です。夏でも冬でも、父の好みで、ツマにはキュウリの輪切りがつきます。夏は近所の畑でとれたキュウリだからおいしいのは当たり前として、冬にスーパーで買ったキュウリも、田舎のものはちゃんとキュウリの味がして、以前と同じようにおいしく食べられるのです。
考えてみれば、キュウリはほとんどが水分で、あまり遠くの産地から仕入れたものは売っていないし、売ってたとしても何だか元気がなくて私は買いません。ああ、田舎と、大阪や奈良とでは水の風味が違うから、キュウリの味がこれだけ違って感じられるのだと、数年たってようやく気づきました。
実家はずっと井戸水でした。ちょっと甘くて、やわらかくて、帰省すると真っ先にゴクゴクと水を飲みました。グラス一杯の水を飲み干すと、帰ってきたなあという実感が湧いて、何だかほっとするのです。
それなのに、この夏実家に帰ると、大きなウォーターサーバーが台所に居座っていました。何が原因かはわからないそうですが、「最近、井戸水の味が変わったんよ、ちょっとこわくてねえ」と母が申し訳なさそうにつぶやきました。
ボコッ、ボコッと不自然な音をたてるサーバーの水は無味無臭で、幼い頃、デパートで迷子になってしまったときのような、心細い気分になりました。

倉橋みどり
posted by アルカからのお知らせ at 23:20| Comment(0) | 七十二候

2013年12月12日

二十四節気と七十二候のお話 その68

12月12日から16日は七十二候の「熊蟄穴」。「くま あなに こもる」と読みます。熊が冬眠に入る頃という意味になります。
山と山に挟まれているようなところで育ちましたが、熊に遭遇したことは一度もありません。
怖い思いをしたことがないせいか、子どもの頃、動物園で見たツキノワグマやホッキョクグマが何だか哀しそうな顔をしていたイメージばかりが浮かびます。
おそらく食べることもせず、排泄もしないという冬眠は、心地良い眠りというよりは仮死状態に近いのでしょうが、いったいどんな顔をして眠るのでしょうか・・・。
やはり頭に浮かんでくるのは、おなかいっぱいで満ち足りた顔ばかりです。

倉橋みどり
posted by アルカからのお知らせ at 20:19| Comment(0) | 七十二候

2013年12月11日

二十四節気と七十二候のお話 その67

12月7日は二十四節気の「大雪」(だいせつ)。
そして、7日から11日は七十二候の「閉塞成冬」。
「そらさむく ふゆとなる」、あるいは「へいそくして ふゆとなる」と読みます。
「閉塞」とは「閉まり、塞がる」こと。
自然界でいったい何が閉まり、塞がれば、冬が始まると考えたらよいのでしょうか。
季節を決めるのは、地球と太陽の距離や位置関係です。
冬は太陽がもっとも遠ざかる季節のことと言い換えることもできるでしょう。
それを「遠ざかる」などといわず、何かが閉塞すると言い表しているところに詩的なセンスがあります。
この頃は、冷え込むと、青空もすっきりせず、鉛色をした雲が垂れ込めている日があります。
そういうときには確かに、我々の居る地上と、太陽が輝く天上との間の見えない扉が閉まっているような気がします。
その扉が閉まると冬が始まるのです。
それに対し、春が来て開く扉は、地中と地上の間にあるような・・・。春先には「蟄虫啓戸(すごもりむし とを ひらく」という七十二候がありましたっけ。
あれは明らかに、地中と地上の間にある見えない扉が開くのだと思います。

倉橋みどり
posted by アルカからのお知らせ at 23:01| Comment(0) | 七十二候